はじめに(20142Version

 

この文章は主として、卒論配属前の東工大・学部3年生 and 他大学からの受験を考えてくれている学部4年生に向けて書いています。

 

東工大に来て5年が経ちました。この文章以外の多く(=たとえば、もう一つの「はじめに」など)は5年前の赴任時に書いたものです。根本的なところはあまり変化していないのですが、実際に5年過ごしてみてということで、改めて追加版をここに書いてみます。講義については、それぞれの講義の初回時などに説明していますので、ここでは「研究室配属、卒論、修論、(D論)」に関係することを書きます。

 

将来の進路、就職

 

まずは皆さんとしても、将来の進路が気になることでしょう。

5年前の赴任時の根拠の無い想定は、研究室卒業生の約半分は当研究室の専門分野に関わる職種・職業・業界(河川、風水害防災、水環境・水資源、地球環境、エネルギー・資源、国際機関、研究者)へ進むのではないか、一方で残りの約半分は東工大の土木・環境の卒業生としてどこへでも胸を張って行けるだろう、というものでした。

半々ぐらいかなあ、と。

 

実際の卒業生の就職先は、国交省、内閣府、東京都、NEXCO、三菱総研、三井物産、日本工営、水ingということで、思っていたよりも前者(=専門に関連がある分野)が多く、半分以上、というかほとんど全員となっています。これはまだサンプルが少ないせいでもあります。他の理由としては、様々な研究室がある中でわざわざうちの研究室に来る学生達は、そういった分野に進みたい人達である、ということも考えられます。うちに来るとそういったところへの就職が有利になるということもなければ、うちに来ると他のもっと土木っぽいところへ行けなくなるというわけでもないでしょう。

 

ただ、少なからぬ税金が投入され、日本を代表する東工大の中にこういった分野の研究室が設置されているという世間の期待を考えると、国交省の水管理・国土保全局(旧名、河川局)、内閣府、環境省といったところや、加えて次世代の大学の先生や研究者といった進路に、ある程度は進んでほしいところです。もちろん、世界銀行やアジア開発銀行、JICAJBICや外務省、NASAとかWMO、その他の国連機関(防災やインフラ、援助)、そういったところにもどんどん行って欲しいと思います。

 

ちなみに、博士課程に行く人が減りつつある昨今ですが、だからこそチャンスです。優秀な人は、博士に進学して立派な研究をすれば、将来の研究ポストは選び放題になると思いますよ。なにせ同世代の競合がほとんどないのですから。女性はもっとチャンスです。どこの大学も「優秀な女性の先生候補はいませんか?」と探しまわっています。このトレンドは強化されることはあっても、弱まることはないでしょう。

 

研究室で何を学ぶか、それは専門か

 

大学院入試の面接時が顕著ですが、皆さん「もっと専門知識を学びたいので」と言いますよね。しかし、それはどうも違うと思うのです。

 

仕事に就き、その会社や組織で3年ほど仕事をすれば、もちろん熱心に励めばですが、その仕事の実際的なことや専門的なことなどは、だいたいマスターできます。これは私だけが言っていることではなくて、多くの人が昔から言っていることです。皆さんも、大学入ってから同じバイトを続けている場合は、実感していることでしょう。東工大生に期待されているのは、その3年の後に一歩「飛躍的に飛べるか」です。その3年でマスターしたことを単純にその後も継続する能力が求められているわけではありません。

 

また、同じ専門、同じ内容の仕事がずっと続くわけではありません。部署は数年で変わることでしょうし、立場か変わって出世し、役割が変わることなどもあるでしょう。我々のような専門家といわれる人でも、ターゲットはどんどん変化します。また、たとえば防災についてですと、昨今はスマートフォンを使って防災アプリをというのが重要なターゲットとなっているはずです。でも…iPhoneが発表されたのは、わずか7年前ですよ。つまり、専門の細かい知識や技術は7年もすれば完全に状況が変わるかもしれないと、そう思っていたほうが無難です(「7年」というのは目安で書いただけですが)。これも似たようなことを私以外の多くの人が昔から言っています。専門知識を得るというのが卒論・修論の役割ではないと。

学部や修士で学んだ表面的なことは、30歳になる頃には食いつぶすと。

 

そうではなく、将来にわたってずっと勉強し続けるための基本を体得するのが、さらには「飛躍的に飛ぶ」ためのキッカケをつかむのが、卒論・修論の目的のはずです。こういうのを一般に「メタ」と言いますが、目の前の知識そのものではなく、一段上の段階のものを得るわけです。そうすれば、いきなりスマートフォンが登場しようが、時代がどう変わろうが、常に乗り越えていけるはずです。

 

研究室で何を学ぶか(続)

 

そういった「メタ」の基本は、読み書きソロバンといったところかもしれませんが、卒論・修論などの研究室レベルでいうと、文献を読みこなす力、新しい文献を自ら発見する力、それらをもとに新しい(研究)計画を練り上げる力、具体的な実験や観察などの手順を定める力、失敗したときに乗り越える力、個別の結果を上位の一般的な概念に置き換える訓練、論理的かつ正確な文章にまとめる力、他人に分かりやすくプレゼンする力、論理的かつ冷静に質疑をする力、そういったものになります。

 

また、卒論でいうと1年、修士でいうと2年のタイム・マネジメントをする力、体調が悪いときはやっぱり進まないと実感すること、自分の火事場のクソ力がどれぐらいか把握すること、そういったことを試したり得たり感じたりするのも卒論・修論だと思うのです。それはつまり、「専門知識を得たい」とは、ある種逆にあるものです。

 

これらの力を軽視した日本の多くの組織は、そういった訓練をしっかり積んだ博士号取得者が上層部にごろごろいる世界中の組織(会社、国や地方の役所、国際機関)に勝てなくなりつつあります。素質や才能があっても、訓練が違う。当然のことですね。

 

もちろん、その訓練の途上で、たまたま対象とした専門については豊富な知識を得ることでしょう。専門分野の広い感覚も身につけることでしょう。そのことは無駄ではありません。それをベースに、それぞれの専門分野に就職していくのも確かです。しかし、「もっと専門を」と学生さんが面接で言う度に、とても不思議な気持ちに襲われるのも事実です。深く掘り下げる卒論や修論をする真の意義は、「目の前の専門知識を得ること」とは違うはずです。

 

「目の前の専門知識(だけ)」には別の危険性もあります。

すぐに学べること、目の前の役に立つことは、すぐに役に立たなくなる、すぐに使えなくなる。

これも多くの人が、昔から言ってきていることです。

 

研究室で(私が学生時代のように)サボった場合

 

卒論・修論の間はとりあえずダラダラ過ごし、「だって、研究室でやる内容と仕事とは絶対違うのだからさ。就職して仕事になったら、真剣になるよ」。そういう人は数多く存在します。

 

決して真面目な卒論生でも修論生でもなかった私が言うのも何ですが、それは間違いです。ということが、経験的に分かってきました。ダラダラさぼっていた私が言うのだから間違いない。

 

それは単に卒論・修論の時間の無駄(特に修士の場合はわざわざ大学院に入るわけだから)というだけに留まりません。経験上、「仕事のときになったら、隠していた本気を出すよ」というタイプではなく、「将来の仕事とは違うかもしれないけれど、今の卒論・修論に全力を尽くす」というタイプのほうが、仕事に就いてからもきっちりと全力を尽くして、良い仕事をしているようです。まあ、それは、当たり前ですよね。「全力の尽くし方」というのを知っているわけですし、上で長々と書いたような様々な「メタ」な能力を体得しているわけですから。ケチらずに、将来役に立つとか立たないとかセコいことも考えずに、学生時代から全力尽くしておいたほうがいいですよ。(そりゃ、例外で後から急に花開くタイプの人はいます。でも、例外はほんと例外です。)

 

研究室では「研究」をしよう

 

たとえばサッカー・Jリーグのトップクラスのチームに入ったら何を学ぶべきか。トップクラスのサッカーのプレーを学ぶか、トップクラスのスポーツマネジメントを学ぶか、ですよね。あなたの将来の進路に関わらず。

 

そのJリーグチームにタコ焼きを作るのがうまい人がいても、そのタコ焼きで将来店を開けるぐらいだとしても、そこでタコ焼きを学ぶというのではもったいない。タコ焼きなら、トップのタコ焼き屋で学ぼう。

 

ということで、研究室では、研究を学ぶのが一番です。あなたが将来、研究者にならないとしても。研究室は、掃除は三流でも、研究は一流なのですから。それが、一流の「メタ」な能力の獲得への道です。

 

さて、そのようなわけで研究をせねばなりません。しかし、「研究」とはなんでしょうか?

 

大学での研究とは

 

自分の部屋の隅っこを効率よく掃除する手順を考えることは、研究でしょうか?

それは、確かに役に立ち、誰もやっていないから新しく、それなりに頭を使った結果であり、研究といっても差し支えなさそうです。これは100%研究じゃない、とまでは言いません。しかし、それは日本や世界を代表する大学で行うべき研究でしょうか?

 

卒論や修論を書くのはこれからでしょうが、

皆さんの卒論や修論の参考文献(引用文献)の中に、過去2年以内に発表されたもので、国際的に英語で書かれて発表されたものは、どれぐらいあります?それとも、そんな参考文献はゼロですか?

 

大学でやるような研究の多くは、論文という形で、論文集(=ジャーナル)に発表されます。その「ジャーナル」の繁栄の度合を測る世界共通の有名な指標に、インパクト・ファクター(IF)というものがあります。それは過去2年にそのジャーナル上に掲載された論文が、どれぐらい(=平均して何回)、参考文献として世界中で引用されたかを示す指標です。たとえば2014年がターゲット年であれば、2013年と2012年にそのジャーナル上に掲載された論文が、2014年一年間に、参考文献として世界中で何回引用されたかを示すものです。

 

これが妥当な指標として受け入れられているということは、逆にいえば、あなたの卒論や修論の中には、過去2年の間に世界のどこかで英語で発表された論文が、参考文献として入っていると考えられます(自分の研究室からのものは除きます)。入っていないとしたら、みんなが仰天するような超独創的な研究か、それとも研究とは呼べない代物であるか、どちらかでしょう。

 

前者の可能性は1%よりもずっと小さく、後者の可能性は99%よりもずっと大きいのではないでしょうか。たとえば、iPSでノーベル賞を受賞された山中先生のケースでも、2006年にマウスでiPSを作った際には確かに超独創的でした(それでも過去2年の論文は引用しています)が、一年半後に人間のiPSを作って論文発表した際には、アメリカの別チームと同時でした。過去2年、世界のどこでも研究していない、なんてことはほぼ有り得ないのです。もし過去2年、世界のどこでもやっていないのなら、ぜひノーベル賞を狙ってください。

(最初の問答を振り返りますが、自分の部屋の隅の掃除の仕方は、役に立って、新しく、頭を使っていても、大学でやるべき「研究」ではないですよね。)

 

そういった中で、並の一流研究にとどまらず、特上の超一流研究を成し遂げられたら理想ですね。見えなかったものを見えるようにするとか、新しい分野を切り拓くとか。

 

そういえば、ノーベル賞で思い出しましたが、J.F.ケネディ曰く「水問題を解決できる人は2つのノーベル賞に値する。1つは平和への貢献で、1つは科学への貢献である。」だそうです。

 

国際化の中で

 

そうなんです。すごく単純化していえば、過去2年に世界中で発表された論文と競争なのです。少なくとも、それらに勝たねばなりません。オリンピックやワールドカップのようなものです。

 

土木・環境工学だけに関わらず、今後、国際化は止まるところを知らないでしょう。今後というか、すでにそういう状況です。インターネットは大きな役割を果たしました。海外旅行が簡単になったのも大きなポイントです。途上国の発展がすさまじいのも一つの理由です。

 

一方で、皆さんの「現役」は、まだまだ40年ほどは続くことでしょう。(たとえば24, 5で修士を出て、65まで働くということを想定しています。)

 

40年前と今の違いを、調べてみたらどうでしょう。ちょうど沖縄が日本に返還されたぐらいです。インターネットで40年前の画像を検索したら、「えーっ」となるはずです。

 

では40年後はどうなるのでしょうね。もちろん想像もつきません。想像もつかないということだけが確かです。もう一つ確かなのは、徹底的に国際化が進むということです。我々が海外で何かをするという意味においても、海外の様々なものが日本に入ってくるという意味でも。だって、電化製品といえば日本製と思っていたのはもはや過去で、一番身近なスマホはアップルかサムソンですよね?商品や物質だけじゃありません。武田薬品の次の社長がフランス人になると聞いてびっくりしましたが、もう武田薬品の社員の半分以上は外国人だそうです。

 

40年後の東工大、何割が日本人でしょうね。

 

具体的にどうしたらよい、というのはありませんが、国際化のマッハでの進展だけは忘れないほうがよいでしょう。研究や科学・技術というのは先に国際化したので、すでに世界中がライバルです。経営とかマネジメントも、実はもう世界中がライバルなのでしょうね。我々がIKEAで買い物をする一方で、アメリカの街角にはユニクロがあります。今後40年ますますそういったことが加速する時代の中を、知的に生き抜くベースを身につけるべく、研究室を活用してみましょう。

 

我が研究室で

 

そうしたら、うちで何をやってもらいましょうかね(笑)

 

時系列的に後ろから前に戻る感じで書きますと、まずはやっぱり、外に出す論文を書いて、外で(=学会などで)発表をしてもらいたい。これを在学中に一通り経験することが、大きな財産になります。すごい人は、学部と修士で三周りぐらい経験します。平均で二廻りですね。他の研究室の状況を一々調べたわけではありませんが、これが他のたいていの研究室への配属との違いとなりそうです。(逆に、大変だと思う人は、うちは避けたほうがいいかもしれません。)

 

「論文を書いて」というのがポイントです。

 

学会発表だけなら、申し込めば、誰でも出来ます。

論文は厳しい審査(査読)があります。(たいては匿名の)数多くの厳しいコメント・批判を受けて、それに対してしっかりと返信し、修正することが必要になります。このプロセスを是非、皆さん自身に体験してもらいたいと思います。論文本文は4ページなのに、査読コメントへの返信が10ページとなったりすることもざらです。研究室選びとして、先生が活躍しているとか、そういうのはどうでもいいことかもしれません。皆さん自身が、この知的バトルを体験すべし。これは卒論や修論という内部のプロセスだけでは味わえないものでしょう。また、この知的バトル力は、国際化社会の中で、欧米(今やアジアやアフリカなども)と日本との間の最大の「知力差」の原因でもあります。(ちなみに、単に申し込めば可能な学会発表の際も、運が良ければ、厳しく突っ込んでもらえます。)

 

できれば英語で論文を書き、それを英語で発表すべし。ポールやジョンからコメントが来るってのも、楽しいものですよ。

 

英語でとはいかなくても、うちの学生の多くは在学中に、日本語で論文を書いて、発表を行う、というのをやってきています。論文を書く言語は日本語でも、世界中から英語で続々と発表される最新論文を読みこなして、自分の論文に反映せねばなりません。その上で、「私の研究は十分新しく、載せる価値があるから、載せてください」と訴えねばなりません。さらに、論理的かつ読みやすい本文も必要です。正確かつ訴えかける図表も必要です。これらを在学中に経験するかどうかは大違いです。

 

一つの理想としては、卒論+M1で研究をして、M1の終わりまでに英語の論文にして投稿し、M2ではそれを世界中で発表して、厳しく質問してもらう。投稿した論文へのコメント・査読もM2の間に返ってくるので、それに必死に反論し、論文を修正する。こういった時系列での研究室生活が一つの理想かもしれません。そのうち、こういう理想を意識して進めてもらうこともあるかもしれません。研究というのは実施までではまだ半分、外部に認めてもらえる論文を作り上げて初めて、残りの半分が満たされることになります。専門の知識獲得以上に、このプロセスこそが大学院生活でのもっとも価値あるものとなるはずです。

 

我が研究室とフィールド、ニュース

 

一方で当研究室では、様々なフィールドに行くチャンスがあることでしょう。この数年だけでも、メコン川やチャオプラヤ川に行きましたし、トルコの大潅漑地にも行きました。石狩川にも行きましたし、吉野川、高知の白川と阿蘇にも行きました。ソウルの都市再生・チョンゲチョンにも行きました。

 

我々の対象である「水」という分野は、災害・防災という面においても、水利用や水環境といった面においても、資源・エネルギーという面においても、人間社会と自然との複雑な境界面にあります。伝統・歴史と現代、未来との交錯点にあるともいえます。都会にも田舎にも水に関わる問題があり、先進国にも途上国にも問題があります。あなたが河川や環境の専門家になる場合でも、あなたが川とはまったく関係のないウェブデザイナー、マスコミ人や経営コンサルタントになる場合でも、そういったフィールド訪問の経験は、目に見えない形で、専門家になる場合はもちろん目に見える形で、きっと役立つと思いますよ。

 

また、うれしいことではないですが、昨今様々な水災害や水環境、水逼迫のニュースがあります。たとえば最近では、イギリスのテムズ川はこれまでにない大洪水に襲われました。アメリカは大雪に覆われ、オーストラリアの熱波は明け方の最低気温が30度以上という凄さ。それらに伴って、それぞれの地域社会は混乱しました。今後の「土木」が対処すべき対象は、いわゆる建設だけでなく、こういった日々の危機・リスクでしょう。研究室在籍中は、こういったニュースにも注目してもらえればと思います。皆さんの今後40年のプロ生活に、絶対に効いてくるはずです。

 

とくにオチはありませんが、2014年冬春時点での感想文(?)を書いてみました。